ささみん

発酵食とか、諸々

辛くて生きにくいとき

辛くて生きにくいって思うこと

 

私は会社に勤めて1年間ほど辛くて生きづらいとしか
思ってなかった。

自分の主張と違う。だから会社の主張は受け入れられない。
辞めたいとおもう。だけど言い出して辞めたらどうなるの?って問いかけたら止まらない。
辞めたとしてなにするの?決まってないから決めれない。
とかとか
からしたら、そんなことで、って思うかもしれないけど
まぎれもなく私として生きる私にとっては辛いものがあった。

そんな私はある程度元氣になった。
もちろん辛くなることもあるけれど、
辛くて生きづらいって思うことが減ったのだ。


何故辛くなってしまうのか。
今だから冷静になっていえることがある。
それは、自分の考えや自分の持っている価値観と周りがずれるからだ。
もしくは自分の価値観の譲れない部分が今いる環境とはどうしても相反するからだ。

たぶん私がたどりついたこの答えは周りのみんなにとっては当たり前かもしれない。
つまり「辛いって感じたらじゃあ周りとずれているから価値観が合うところに行けばいいじゃん。」
ってことだ。
今思うと絶対その通りだと思うし、
そういう選択肢を取ることが一番手っ取り早い。

でも、私は辛い環境になぜか居続けてしまった。
私は耐える事になれてしまっていた。
私はやめるという事に不慣れであった。

辛かった。苦しかった。
毎日、出来なくて、
ココロから笑えなくて、
涙が出そうで、
自分の事が嫌いになるくらい
本当に毎日心の中で葛藤だよ。
辞める辞めない、
進む進まない
怖い怖くない…

いろんな思いが錯綜していた。


でも気づいたことがある。
辛いだけじゃなかったって。


今だから言える
辛いって思いながらも
その場に残り続けてよかったと。

だってふと振り返ると辛いと感じたときそれは周りと自分が違っている事に
気づくことが出来る瞬間であり、自分自身を知るチャンスとなったからだ。

辛いの中でいろんな自分を見つけた。
「一度思い込んだら、その価値観を捨てられない自分」
「一人ひとりが才能を活かせる環境というものが一番大切だと思っていること」
「人に見下されようが、人にばかにされようが他人の幸せだったり、人への優しさを持っていたいって思っている」


辛いの中にはつらいだけじゃなくて、
自分の人生の中で出会ってきた私の宝物の感情や価値観が眠っていたのだ。

辛いこと
生きづらいと思こと。

それと向き合い続けて、
辛いと自分の対峙に向き合ってきて
ようやく、自分自身と向き合うことが出来るようになた。
そして向き合う中で自分の価値観に出会ったのだ。(自己理解)

多分この辛い経験と自分がなぜ辛いのかに向き合い続けなければ、
自己理解という事が究極の癒しであることに
何一つ気づけなかったのだ。

辛い経験は私にとってつらいことは自分を知るきっかけをくれた
ある意味チャンスとなった。

もう昨年までの辛さはこりごりだけど、
昨年までの辛さは無意味じゃなかった。

それが分かったから。
今は辛くない。


【まとめ】
辛いのなかにいるときはただただ辛いなんだけど、
辛い経験は自分の価値観に気が付く大切な時間なのだ。

辛い原因はじぶんの価値観と周りの価値観が合わないからであり、
辛いの経験から自分の価値観に再び気づくことが出来るのだ。

そして自分の価値観を知ること(自己理解)は間違いなく
究極の癒しっていうこと

 

ただ、辛くなくても自分の価値観を知る方法があるんだから、
無理して辛くなくてもいいよなと最近は思うのである。笑